古代核戦争はあった?ガラス化した大地・モヘンジョダロ遺跡(世界遺産)の謎に迫る!

古代核戦争はあった?ガラス化した大地・モヘンジョダロ遺跡(世界遺産)の謎に迫る!

パキスタンの南部に位置するインダス文明最大の遺跡、モヘンジョダロ。世界史の教科書にも載るほど有名な遺跡ですよね。

そのインダス文明の最大の遺跡が長い繁栄の後、短期間のうちに滅びたと言われています。

その理由の一つに、古代核戦争という説がありました。

本当に古代に核戦争があったのか、なぜ繁栄していたのに短期間のうちに滅んだのか、その謎に迫りたいと思います。

モヘンジョダロってどんな遺跡?

モヘンジョダロ

画像出典:Wikipedia

モヘンジョダロは、紀元前2500年~紀元前1800年にかけて繁栄したインダス文明最大の都市です。

そのインダス文明は、インド・パキスタン・アフガニスタンのインダス川やガッガル・ハークラー川流域で栄えた文明でした。

狭義ですが、紀元前2600年から紀元前1800年の間にあった文明だと言われており、モヘンジョダロが滅亡すると同時くらいにインダス文明もなくなったとされています。

モヘンジョダロは、現在のパキスタンにあります。

インダス文明時代、住んでいた人は最大で4万人と推測され、多くの人がモヘンジョダロに住んでいました。

モヘンジョダロには公共の施設が並んでいたり、住宅が並んでいたりと計画的な都市作りがされています。

また建物の多くは、焼き煉瓦を膏モルタルで固定させた後にアスファルトを使用し煉瓦を覆い、さらに煉瓦を重ねて耐水構造を作っていました。

モヘンジョダロは綺麗に整地された街で、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

そのため、現在では多くの観光客が訪れる場所になりました。

 

モヘンジョダロは高度な技術が満載!?

モヘンジョダロと古代核戦争

画像出典:Wikipedia

モヘンジョダロには、現在の先進国にみられるような高度な技術が数多くあった事が分かっています。

では、高度な技術とはどのようなものだったのでしょうか。

モヘンジョダロには、

  • 高度な排水・下水システム
  • 焼き煉瓦と石膏モルタルを使用した家作り
  • 街の作りが計画的
  • 住宅が2階建てや3階建て
  • 大きな沐浴場があった
  • 裕福な家には1つの井戸があり、一般家庭は共同の井戸があった
  • 大きな貯水槽を作り、乾期に備えていた

これ以外にも多くの高度な技術が使われており、現在でも通用するような知識があったと考えられます。

特に排水と下水のシステムに関してはしっかりと作られていたようで、下水を通す場所の上にはレンガで蓋をされており、衛生面を含め、街に馴染むような排水システムが作られていました。

街作りに関しても、現在の都市型の街のような綺麗な整地がされており、道路も直角に交差しています。

また、貯水槽の整備がされていることから、乾期と雨季の季節変動をしっかりと理解したうえで、一年を通し生活できるような知識がありました。

このような高度な技術や知識があったことから、中央主権制度や階級制度があったと考えられていますが、王墓は発見されていないことから、王制度はなかったと考えられています。

 

モヘンジョダロは世界最古の遺跡の可能性が!?

実は、モヘンジョダロの最下層がどのあたりなのか、まだ分かっていません。

数メートル掘ると塩分を含んだ地下水が出てきてしまうため、発掘が進まないからです。

水を排水しながら発掘を進めたアメリカの調査隊がありましたが、地下水の影響と遺跡の堆積はかなり奥まで続いており、発掘を断念したため、モヘンジョダロの全貌は未だに分かっていません。

モヘンジョダロは綺麗に整地された街作りが特徴ですが、それらはインダス文明の時代だけで作られたわけではありませんでした。

モヘンジョダロは、7層にも及ぶ遺跡が重なり合っているという研究結果が出ています。

インダス文明以外の時代に作られたものも混ざっていることから、遺跡が年輪のように重ねられて作られていました。

もしこれが本当なのであれば、インダス文明以前の遺跡もあると考えられ、世界最古の巨大遺跡だった可能性も出てきます。

 

世界遺産・モヘンジョダロの謎は!?

モヘンジョダロと古代核戦争

画像出典:月間ムー公式ウェブ

高度な文明が多々残されているモヘンジョダロ。

豊かな暮らしをしていたと推測されますが、モヘンジョダロには大きな2つの謎が残されています。

その謎とは、不可解な人骨と衰退・滅亡の理由。

モヘンジョダロがなぜ衰退し、滅亡したのかはまだ分かっていません。

また、そこに残された人骨はとても不可解な状態でした。次は、その謎に迫ってみましょう。

 

モヘンジョダロの謎① 謎の人骨

モヘンジョダロが発掘されるようになって、遺跡の一部ではなく、様々な場所に人骨があることが分かりました。

遺跡では人が埋葬される場所が決まっている場合が多いですが、モヘンジョダロの場合、路上と思われる場所や井戸周辺というありえない場所に人骨があるんですよね。

また、人骨は決まった形ではなく、様々な格好で横たわっていました。

しかも、様々な格好の人骨は、突如何かに襲われたような形で横たわっているように見えるんです。

その人骨は何を意味しているのでしょうか?

遺跡内で見つかった人骨は46体で、そのうち9体には高温で加熱されたような跡が残っていました。

モヘンジョダロの側には火山はなく、突如高温が襲ってくるとは考えにくい場所でもあります。

なぜ高温で加熱されたような跡があったのか、突如死んでしまったような状態の人骨が残されているのか、未だに解明されていません。

 

モヘンジョダロの謎② 衰退の理由

モヘンジョダロはとても繁栄していたと推測されますが、様々な研究から、徐々に衰退していったのではなく極めて短期間のうちに衰退し、滅亡したのではないかという説が生まれました。そして、その説は近年有力視されています。

衰退し、滅亡した理由は大規模な洪水が原因と現在では考えられていますが、本当の事は分かっていません。

高温で加熱されたような人骨が残されていたり、不自然な格好の人骨があったことから、自然災害だけが原因ではないのかもしれません。

自然災害でなければ、戦争のような争いがあったのか、モヘンジョダロを放棄したのか…様々な説が考えられますが、短期間に衰退・滅亡した理由は謎のままなのです。

 

モヘンジョダロが滅んだ理由は古代核戦争?

モヘンジョダロと古代核戦争

では、モヘンジョダロが衰退し、滅亡した理由はなんなのでしょうか。ここで少し考えてみたいと思います。

高温で加熱されたような人骨や、モヘンジョダロの近くにある町がガラス化されていることから、「古の時代に核戦争が起こったのではないか」という説が生まれました。

核戦争といえば、第2次世界大戦でアメリカが日本に対して落としたのが最初で最後ですよね。

しかも、核を作るというのは高度な技術が必要で、簡単に作れるものではありません。

それが古の時代に作られ、戦争の道具として使用されていたとすれば、凄い技術を持っていたことが分かります。

モヘンジョダロからは通常の50倍以上の放射線が検出されているほか、町の壁からは異常な量の熱を一瞬で浴びたような跡が発見されているため、核のような放射線を出す爆発か、それに準ずるものがあったことは事実なのかもしれません。

核が実際に作られ、核爆弾として使用されていたのかどうかは不明ですが、モヘンジョダロやガラス化された町から核爆発を連想させるような跡があったため、核戦争というキーワードが出てきたと思われます。

 

古代核戦争の名残?モヘンジョダロはガラスの町

古代に核戦争があったと言われる理由は、モヘンジョダロだけではありません。

モヘンジョダロの近くにある「ガラス化された町(ガラスの町)」は、地元の人すら近寄らない場所となっていました。

その理由は、危険な場所だから。しかしなぜ、ガラスの町が危険な場所なのでしょうか。

このガラスの町は、黒いガラス質が地面を覆っている場所があります。

その広さは半径にして400メートル。

一瞬にして高温が浴びせられたことによって、砂が溶解しガラス状になったと推測されている場所です。

このような物質が発見されている場所は核実験をおこなった砂漠だけだと言われており、核のようなもので一気に熱されたことで、町がガラスに覆われたと考えられます。

核戦争の知識がなくても、通常ではあり得ないガラス化された砂が発見されていたことから、地元の人は危険な場所と判断したのかもしれませんね。

 

古代核戦争があったとされる理由は?文献や跡から謎に迫る!

マハーバーラタ

画像出典:Wikipedia

ガラスの町やモヘンジョダロに残された高温の跡から、核のような大きな力が町を襲ったことは事実に近いのかもしれません。

しかし、「核のような大きな力」が本当に核だったのか…という点については、未だに分かっていない状態です。

では、なぜ「核戦争」という言葉がでてきたのでしょうか。

核を思わせるような跡があったとしても、それだけで核戦争と繋がるわけではありませんよね。

核のような力が核戦争と繋がるのには理由があるのです。

その理由は、「核戦争を思わせる文献や跡が残されていたから」でした。

 

古代核戦争説が考えられた理由① インドの大叙事詩の存在

インドには大叙事詩が存在します。

その叙事詩とは紀元前10世紀頃に起きた戦争を伝えたもので、「マハーバーラタ」という「バラタ族の戦争を物語る大叙事詩」を意味する文献でした。

この他にも、「ラーマヤーナ」や「リグ・ヴェーダ」にも大気圏内核爆発を思わせる記述が見られます。

この大叙事詩に書かれている内容は、広島や長崎に原爆が投下された直後の被害状況とも酷似していました。

古代に核戦争があったと言われるのは、この叙事詩の存在があったからです。

核攻撃があったと考えられる記述を少しご紹介しますね。

  • 超高温の火球=太陽が一万個集まった光り輝く柱
  • 強烈な熱線=池の水が蒸発、猛火に焼かれた木々のように倒れる戦士たち、火傷で逃げまどう戦象、灰と化す住民
  • 衝撃波=恐ろしい風、うなる雲、揺れ動く太陽
  • 衝撃波で舞い上がる土ぼこり=方向感覚を見失うほどの濃い闇
  • 放射能汚染=髪の毛や爪が抜け落ちた死体、毒された食物、鎧を脱ぎ捨てて体を水で洗う生存者

文章引用:Wikipedia

現在考えられる中で、核が落とされた跡の街の状況や物の状態をしっかりと知るのは広島や長崎のみであり、古代の叙事詩に核攻撃を受けたと思われる記述があることがあり得ないのです。

叙事詩に大気圏内核爆発のような記述があることから、古代に核戦争のような大きな戦争か大変強力な攻撃があったと推測されました。

 

古代核戦争説が考えられた理由② インドに残るクレーター

インドのボンベイという場所に、直径にして2キロほどの広さのクレーターが存在しています。

このクレーターからはガラス質の地層も発見されていることから、なんらかの高熱を帯びたものが地上に当たり、クレーターになったと考えられます。

現在では隕石の衝突と考えられているのですが、鑑定の結果ではクレーターが出来たのが5万年前あたりと言われており、このクレーターも隕石ではなく、核戦争の跡なのではないかという説もありますね。

クレーターからは隕石のようなものが発見されていない上に、クレーターが1つではないことから、「隕石ではないのではないか」という説が出てきています。

 

古代核戦争によって人類は一度滅びた!?

モヘンジョダロと古代核戦争

「古代に起こった核戦争によって、人類は一度滅びたのではないか」という説も存在しています。

核戦争が起こると強力な火力によって大量の「すす」が放出されるのですが、この「すす」の大量放出は気候変動をもたらします。

一回の核戦争が起こると、1億5000万トンもの「すす」が放出され、世界の平均気温が8度も低下すると言われているのです。

北米やユーラシア大陸の内陸部では30度近く気温が低下することも予測され、氷河期が来ると推測している人もいました。

氷河期が来た場合、食物が作れなくなり人は餓死すると考えられ、人類だけではなく、多くの生物は滅亡する可能性がでてきます。

もし古代に世界的な核戦争があったとすれば、生物の多くが滅び、生き残った少しの人によって現代に繋がったと考えることもできるんですよね。

一度人類の大半が滅びたのであれば、古の時代に凄く発展した文明があり、その文明で作られた現代では考えられない物や現代で言われるオーパーツが存在することも普通に考えられます。

本当に古代核戦争があったのか?人類は一度滅びたのか?

事実はわかりませんが、古代のミステリー好きには興味が沸く話ではありますよね!

 

【まとめ】モヘンジョダロの地下には核戦争の謎があるかも!?

モヘンジョダロは、未だに解明されていない遺跡です。

眠っている遺跡の部分には、古代核戦争があったのかなかったのか、その謎を解明することができる物が眠っているかもしれません。

しかし、年々地下水に混ざる塩害によって、モヘンジョダロの遺跡は失われていっています。

これは、塩の成分によって煉瓦が壊れてしまい、土に戻ってしまう現象があるからですね。

モヘンジョダロを守っていく議論が繰り広げられていますが、地下水をどのように排除するのか、どうやって遺跡を守るのか未だに解決できる結果は発見されていない状態です。

古代の人がどのように生活してきたのか、なぜオーパーツが生まれたのか、古代に核戦争があったのか……謎は尽きません。

その謎を解くためにも、モヘンジョダロを塩害から守り、保存していってほしいものですね。