謎だらけの世界遺産!イースター島・モアイ像の秘密

謎だらけの世界遺産!イースター島・モアイ像の秘密

イースター島にあるモアイ像

今では教科書や図鑑にも掲載される事が多いため、見たことがある方も多いと思います。

モアイ像は、なぜ作られたのか、どうやって運ばれたのかを含む多くの謎が残されているオーパーツ。

ここでは、モアイ像の作られた理由や運搬方法などの謎に迫りたいと思います。

モアイ像とは?イースター島はどこにあるの?

モアイ像

モアイ像とは、イースター島にある人の顔の石造彫刻のことです。

多くのメディアに取り上げられているため、大人から子どもまで知っている有名な像ですよね。大きな石の顔はとても印象的です。

そんなモアイ像のあるイースター島は、どこにあるのでしょうか。

イースター島はチリ領にあるのですが、チリからは3800キロも離れた島です。

イースター島

画像出典:Wikipedia

太平洋上にある火山島で、周辺は海以外何も見当たらないような海域にありますね。

実はこのイースター島、先住民以外では1722年4月5日にオランダ海軍の軍人であった「ヤーコップ・ロッヘフェーン」という人物が発見しました。

それまでは先住民のみで生活を行い、島以外の人との交流がなかったため、島以外の国には知られていなかったと考えられます。

発見した日、4月5日がキリストの復活祭『イースター』の日だったことから、イースター島と名付けられました。

イースター島という名前はヤーコップ・ロッヘフェーンが名づけた名前で、本来はパスクア島という島名が正式名称になります。

発見した当初はモアイ像を崇拝する人がいたという記録が残っていますが、次にイギリスの探検家が1744年にイースター島を訪れた時には、モアイ像が倒されていたというのです。

その後、奴隷船がやってきたことによって、天然痘や結核といったそれまで島になかった疫病の蔓延により、島民が激減しました。

そのため、モアイ像がどのようにして作られたのか、なぜ作られたのかを含む文化や伝統もなくなってしまったと言われています。

もし奴隷船が来なかったら、先住民の血筋が少しでも残り、モアイ像が謎になることがなかったのかもしれません。

そのように考えると、他国からの侵略によって、繋がっていくはずの文化が壊されてしまったと言えるのかもしれませんね。

 

モアイ像はどうやって作られたの?作られた場所は?

モアイ像

モアイ像は、イースター島に住み着いた先住民が作ったと言われています。

モアイ像の材料となる石は、イースター島で取れる凝灰石(ぎょうかいがんですね。

この凝灰石はモアイ像がある周辺からは出ておらず、少し離れたラノ・ララクという山から切り出されました。

切り出されたモアイ像はその場で形成されたと考えられ、凝灰石を削り出し、モアイ像を作るのに約20人以上の人が1年以上の年月をかけて作ったと言われています。

山から切り出されたモアイ像は、横たわった状態で作られました。

また、現在でも切り出されたままのモアイ像が残っています。

これらのモアイ像は玄武岩で作られた斧で大きく削り、細部は黒曜石で作られたと考えられています。

 

モアイ像はどうやって運んだのか?その謎に迫る!

モアイ像

1年以上の年月をかけて作られたモアイ像。作った場所からモアイ像を置く予定の場所までは、どのようにして運んだのでしょうか。

実はこの、「どのようにして運んだ」というのは現在も研究が進められています。

そのため、本当はどのようにして運んだのかという事は未だに解明されていません。

ここで、モアイ像の運び方として有名な説を2つ紹介したいと思います。

 

モアイ像の運び方 ベルトコンベアー方式

モアイ像の運搬方法で最も有力だと考えられているのが、大量の丸太を地面に置きそれをコマにして、モアイ像を丸太の上に載せてロープのようなもので引っ張ったという方法です。

簡単に説明すれば、現在のベルトコンベアーのような方式ですね。この方法で運んだのではないかと考えられています。

このベルトコンベアー方式だとモアイ像を壊すことなく目的地まで運べて、比較的小さな力で運ぶことができるのではないでしょうか。

ただ、何十トンものモアイ像を運ぶとなればかなりの人数が必要だったはずなので、とても大変な作業ですよね。

 

モアイ像の運び方 モアイ像を歩かせる方式

モアイ像が歩く、と聞けば「え?」と思われる方もいると思いますが、モアイ像を歩かせて運ばせたのではないかという説もあります。

また現地の伝説では、「モアイ像は自分で歩いた」と言われており、これを実現させたのがモアイ像を歩かせるという方法になりますね。

では、どのように歩かせたのでしょうか。

それは、モアイ像の目の周辺にロープを巻き、左右と後方から交互に引っ張るという方法です。

後ろは前に倒れないためにひっぱっていると思われるのですが、交互に引っ張ることでモアイ像が左右に揺られ前に進むんですよ。

実際に各10人程度でロープを引っ張っているため、30~50人程度がいれば運べる事が分かりました。

この方式だと高さがあるモアイ像では無理かもしれませんが、比較的小さめのモアイ像であれば運べるかもしれません。

ロープを使っているとはいえ、左右に揺らされ前に進む姿は、「モアイ像が自分で歩いた」と考えても不思議ではないですよね。

 

モアイ像は寝たまま作られた?どうやって立たせたのか謎が残る

モアイ像

モアイ像が作られた場所で起きあがらせたのか、置く場所で起きあがらせたのかまだ分かってはいませんが、何トンと言われる重たいモアイ像をどうやって立たせたのでしょうか。

現在考えられているのは、モアイ像の背中の部分に木や石を使って少し浮かせ、その浮いた場所に小石を敷き詰め、徐々に立たせていくというものです。

この起きあがらせる方法はこれまでに実験が繰り返され、何度も成功していることから、モアイ像を起きあがらせるのは小石を挟む方法だったと考えられます。

 

目的は何?モアイ像が作られた理由とは

モアイ像

このモアイ像は島に1000体ほど存在していますが、いったいなぜ作られたのでしょうか?

モアイ像の周辺を調べてみた結果、モアイ像の周辺から人の骨が多く発見されました。

このことから、モアイ像はお墓として作られたと考えられています。

一方で、同じお墓でも、首長クラスのお墓ではないかという説も存在していますね。

モアイ像には胴体部分に手が彫られているのですが、その手の爪がとても長く彫られています。

首長クラスになると、身の回りの世話を周りの人が行ってくれていたことで爪が長くなっていったと考えることができるんですよね。

その様子をモアイ像で表現したという見方があります。

首長か一般人の墓石かは未だにはっきりしていませんが、モアイ像を作り先祖を祀っていたのかもしれませんね。

 

目があるモアイ像!目は他の石だった?

モアイ像

モアイ像をしっかりと見てみると、目がついているものはあまり見かけません。

実はモアイ像には目に霊力があると信じられていたため、大切な時にしか目をつけなかったという説があります。

目がはめられているモアイ像には霊力(島民は「マナ」と呼んでいる)が宿り、島を守っていたと言われていますね。

そんなモアイ像の目の材質は、サンゴ質の石灰岩だったことが研究から分かりました。

しかし、イースター島にはサンゴ礁が存在していないようで、どこから入手したのか謎が残っています。

イースター島でどこかの島と交流があったのか、何か他の理由で存在していたのか分からないままですが、サンゴ質の石灰岩によってモアイ像の目は作られていました。

この目がはめられたモアイ像は、復元されたものであれば複数あるのですが、最初からついているものは現在確認できるだけで2体しか存在していません。

1つ目はイースター島にあるのですが、2つ目はなんと日本にあります!目がついているモアイ像は宮城県南三陸町に飾ってあるんですよ。

南三陸町のモアイ像

画像出典:南三陸町観光協会

イースター島で作られたモアイ像は門外不出で、これまで島の外に出されることがありませんでした。

しかし、東日本大震災によって被災した南三陸町にイースター島で作られたモアイ像が贈られ、目もはめられたのです。

それまでにも、チリ地震後の友好の証としてもモアイ像が贈られた経緯がある南三陸町。

イースター島に行く事が出来ない方も、日本の宮城県であれば行けそうな距離ではありますよね。

大きなモアイ像は1体しかありませんが、イースター島で作られた本当のモアイなので、ぜひ見に行ってみたいですね。

 

モアイ像には帽子をかぶっているものがある!?

モアイ像

モアイ像には様々なものがありますが、帽子のようなものが頭に置いてあるものが存在します。

この帽子のようなもの、かぶせられたのが1200年~1300年頃というのが判明しているんです。

素材は赤い軽石に似た火山岩のスコリアだということも判明しましたが、その重さは1個で数トンあります。

しかし、モアイ像を運び祭壇に飾った後、数トンもある石をどうやって頭の上に乗せたのでしょうか?

この謎については検証段階で、現在でも謎の解明には至っていません。

近年の技術があれば、重機で持ち上げてモアイ像の上に乗せることは可能かもしれませんが、1200年頃に重機があったとは考えられませんし、どうやって乗せたのか謎は深まるばかりですね。

 

モアイ像には性別があった!全部男性だった!

モアイ像

モアイ像に帽子のようなもの(カプオ)が乗っているという話をしましたが、この「カプオ」、実は男性の結った髪を再現したものではないかという説が有力になってきました。

モアイ像の研究が始まった当初は、帽子や女性の髪型が考えられていたのですが、「カプオは部族長を象徴するものではないか」という説が出てきたのです。

部族長は男性だったために、モアイ像は全部男性だという説が出てきました。

実際に女性のモアイ像というものも存在していますが、確認されている限り女性のモアイ像は1体しかありません。

しかし、モアイ像に性別があった事に驚きがありますよね。

モアイ像はだいたい似たような形をしていますが、女性のモアイ像は少し違った形をしています。

モアイ像がたくさんあった時代には、女性のモアイ像ももしかしたらもっと多く存在していたのかもしれませんね。

 

モアイ像には変わった形・場所に置かれているものもある!?

モアイ像

モアイ像といえば、石の祭壇のような場所に数体並んでいる写真を見ることが多いですが、実際には様々な状態のモアイ像が存在しています。

イースター島には1000体を超えるモアイ像がありますが、並んでいるモアイ像やカプオを付けているもの、目があるもの以外にどんなモアイ像があるのでしょうか。

次は、変わったモアイ像を少し紹介してみたいと思います。

 

土に埋まっているモアイ像

モアイ像

祭壇にあるモアイ像は、身体も含め地上にすべて出ていますが、草原にあるモアイ像には土に埋まっているものもあります。

草原に顔があるため顔だけが残されているのかと思いきや、数メートル以上も土に身体が埋められているケースもあり、有名なものでは人が小さく見えてしまうほど大きなモアイ像も発掘されていますね。

 

海の中にいるモアイ像

イースター島の周辺には、海に沈んでいるモアイ像も2体発見されています。

しかし、なぜ海の海底に沈められているのかは分かっていません。

海を守るために沈められたのか、どこかに運搬するため船に乗せたけれど重さに耐えられずモアイ像が沈んでしまったのか、まだ分かっていないのです。本当に不思議ですよね。

 

海を見ているモアイ像

モアイ像

アフと呼ばれる祭壇に並んだモアイ像のほとんどが海を背に、島を見るように並べられています。

しかし、あるモアイ像たちは海を見るように並んでいるのです。なぜ、あるモアイ像たちだけ海を見ているのでしょうか。

通常アフに乗っているモアイ像は沿岸部にあり、海に背を向け、陸地を見ているように並んでいます。

これは、海から集落がある方向を向いており、島民を見守っていると言われています。

しかし、海を見ているモアイ像は、荒涼とした草原地帯に並んでいました。

なぜ海を見ているのか、はっきりとした理由はまだ分かっていません。

これらの草原にあるモアイ像7体から700メートルほど後方に離れたところに2つの石が存在していて、毎年夏至の日には2つの石の間と、前方にあるモアイ像の沿線上に太陽が昇ります。

このことから、天文学的な信仰があり、そのために作られた特別なモアイ像だったのではないかという説も生まれました。

 

倒されているモアイ像

モアイ像

イースター島に行ってみると、多くの倒れたモアイ像が見られます。しかしなぜ、モアイ像が倒れているのでしょうか。

イースター島は先住民がいなかったとされ、どこかから移民した部族が先住民としてイースター島に住んだと考えられてきました。

イースター島に来た当時は自然豊かな場所だったのかもしれませんが、火山島でもあったため、農作物が思うように作れなかった可能性があります。

徐々に人口が増えていき、集落も1つではなく数が増えていく事で自然も削られ、少しずつ食糧不足になっていったと考えられました。

食糧不足から部族間の抗争が始まり、霊力を持っていたと言われるモアイ像の目を伏せるために、モアイ像をうつ伏せに倒したと考えられています。

現在起きあがっているモアイ像は、日本やチリの協力があり復元されたもので、作った当時から置かれているものではありません。

 

モアイ像に超古代文明説!?どんな古代文明が関係しているのか!

モアイ像

モアイ像には、超古代文明説というものがあります。

モアイ像を建設していた当時、イースター島に現代科学では想像もできないような超技術があったはず、という考えから生まれた説です。

超古代文明説が考えられる理由は、「木製のソリ」「縄」「運搬距離や像の重量」の3つになりますね。

しかしなぜ、この3つが超古代文明に繋がっていくのでしょうか?

実は、モアイ像を運ぶ手段として木製のソリと縄を使って運んだという説があるのですが、この木製のソリと縄というのがイースター島では作れないと考えられていたのです。

イースター島の研究が盛んになった時代に、低木が多く大きな木が発見されなかったことから、モアイ像を運ぶようなソリは作れなかったのではないかと考えらました。

また、縄を作れるような植物も見つからなかったようです。

しかし実際は、イースター島が発見された当初は3メートルほどの木があったことが記録されており、火山の火口付近をボーリング調査した結果ヤシの花粉が大量に見つかった事から、ヤシの木があったことが後から分かりました。

ただ、大きな木や蔦が見つからないイースター島でモアイ像の研究を進めていくうちに、運び方などの謎に行きつき、超古代文明があったのではないか、超古代文明の力で移動させたのではないかという憶測がでてきたのです。

イースター島には超古代文明の名残は発見されていませんが、モアイ像の謎を考えれば、超古代文明があったというのも夢があっていいですよね。

 

【まとめ】モアイ像の謎が解明される日は近い!?

モアイ像

モアイ像は多くのメディアに取り上げられてきたため、老若男女関係なく多くの人が知っていると思います。

しかし、しっかりと調べていくと多くの謎が残されていました。

イースター島でモアイ像を作った人々がほぼいなくなってしまったため、謎の解明に行きつくのはとても大変な状態でもあります。

しかし、近年様々な実験や研究結果から作られた理由や運び方、作り方も分かってきました。

謎もまだ残っていますが、これからの科学の発達によってさらに解明されていくかもしれません。

また、イースター島のモアイ像の復元に日本の企業が大きく関わり、現在のイースター島のモアイ像があると知り、とても素晴らしい事だと感じました。

失われていく文化、文明を守っていくことで、歴史のミステリーが解明されていくこともあります。これからも様々な文化、文明を守っていきたいですね。